21世紀住宅・FGH住宅の提案-01-
◆はじめに
LDK住宅は戦後復興期に誕生して以来、現代も続く住宅モデルです。しかし、LDK住宅は週休2日制、女性の社会参加、少子・高齢化、単独世帯の増加、IT化、ライフスタイルの多様化などに伴って、現代人の生活と乖離が生じています。
戦後のLDK住宅の成立過程、現代人の住生活とLDK住宅の乖離等を踏まえて、21世紀の社会に適応する住宅モデル・FGH住宅を提案します。
FGH住宅は家族室(Family room)、宿室(Guest room)、広間(Hall)で構成するbe goingオリジナルの住宅モデルで、あらゆる生活場面に適応します。
◆LDK住宅の成立過程
1. 食寝分離型のDK住宅
我が国は第二次世界大戦で、日本の住宅総数の約3割に当たる約420万世帯が住宅を失いました。食糧不足とともに住宅不足が戦後の大きな社会問題になりました。
1945年に全国で「応急簡易住宅」の建設が始まり、1949年には12坪、14坪、16坪の3種類の住戸の「標準設計」が作成され大量建設がはじまりました。1951年に公営住宅法が制定されると、西山卯三氏の「食寝分離論」の影響を受け、LDK住宅の原型と言われる公営住宅「51C型」のプランができました。
公営住宅「51C型」は食事室と寝室を分けるとともに、寝室相互の隔離をはかっているのが特徴で、床面積が限られた小住宅の中で、食寝分離型を合理的に実現するために提案された2DKの住宅です。

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公営住宅「51C型」の特徴 |
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① 食寝分離のための台所・食事室(DK) |
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② 畳敷きの部屋を寝室とし、2部屋に分かつする間仕切は、プライバシーの確保のため壁とする。 |
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③ 食事・団らん空間に余裕をあたえるため、これに接する畳敷きの部屋との間は開放できるようにする。 |
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④ 寝室の大きさは床と家具の効率的な配置を考え、畳の寸法にとらわれない。 |
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⑤ 行水できるスペースと物置スペースを各戸に設ける。 |
1950年に持家促進政策として住宅金融公庫法が制定されました。建設資金の低金利長期貸付によって個人で住宅を取得することが容易になりました。
1955年には地方から都市に集中した勤労者に住宅を供給する目的で日本住宅公団法が制定され、戦後の住宅政策が整いました。また、同時期、日本は高度経済成長期を迎えますが、核家族の進行による世帯の細分化で大量の住宅不足が続いていました。日本住宅公団は集合住宅の生産・供給の近代化と工業化を進めました。
2. 公私室型のLDK住宅
高度経済成長期は住宅需要が増加し、住宅投資にも資金が流れ出し、民間住宅市場が活性化し始めました。また、ハウジングフェアが始まり、モデル住宅の展示と即売が行われるようになり、住宅の商品化が進むようになりました。そして、高度経済成長により家庭経済が豊かになると、洋風化の波に乗ってソファ、ピアノ、ステレオなどがDKに置かれ始め、次第にリビングの様相を呈してきました。日本住宅公団は生活水準の向上と住宅規模の増大からDKを拡大させ、LDKのプランを実現させました。また、高度経済成長期の台所革命による「ダイニングキッチン」、家庭電化製品の普及による「モダンリビング」という洋式生活を想像させるような言葉が、この当時の専業主婦の関心を引き、LDKの住宅モデルが受け入られました。
当時の親は子供の将来を期待し、子供の教育に熱心でした。独立した子供部屋の要求や、家族の共同生活の場と個人の私的生活の場をきちんと区別して住めるような「公私室型住宅」の要求が強まったことから、リビングを中心とした「公私室型住宅」が誕生しました。新しい住宅のシンボルとしてLDKのプランは戸建住宅にも広まりました。
LDK住宅は、家族の団らんのための「居間」を中心に家族の生活空間を優先するとともに、各部屋は壁やドアで仕切ることで専用化を図っています。
また、LDK住宅は、ユカ座からイス座への転換、家事労働の軽減と女性の地位向上を図り、住宅の合理化と民主化を目指しました。